泥濘と濃霧と
「今週」という区切りを日曜日からカウントするならば、今週で休職から4週間経つ。
前回の投稿からさらに2週間経った現在はどうなったか、というのが今次の主題である(このあたりの回りくどさをどうにかしたい)。
生活習慣でみると、ここ数日は1日3食を心がけ、午前2時から午前3時の間に就寝というサイクルが確立している。いわゆる「規則正しい生活」というやつだ。
ただし、起床後は頭痛があり、二度寝をする傾向にある。そしてだいたい二度寝で見る夢ほど不条理で不快なものはない。悪夢の詳細を細密に覚えるのは苦痛なのでしていないが、大概は「教室」「職員室」「学校」etc......。職場に関係するものばかりである。
嫌悪感ーストレスー仕事内容ー???
恐らく「???」のうちに上記のキーワードが関連付けられているのだろう。思い出していると負荷がかかる感じがする。
なお、睡眠関係で余談だが、人生で初めて睡眠導入剤を飲んだ。麻酔薬(これを経験したことはない)ほど効くものでもないらしい。あくびを嚙み殺すうちに効力を失う、そんな効き目を実感した。
さて、先日のカウンセリングでは、カウンセラー(五十代女性。俺の周りの対人支援職はこの類の属性ばかりである)から次のような提案をされた。
「自分の夢・目標を考え直してみませんか?」
「現実と地続きじゃなくてもいいし、思い浮かばなかったでもいいから」
めずらしく苛立ちを覚えた。
なぜなら、夢想ほど無意味なことはないからである。
例えば今から航空自衛隊の戦闘機パイロットを目指すには、体力と視力が足らない。では大卒・教員免許状保有・統計分析スキルという属性を持つ自分は何ができるか?それなら塾講師はどうだろう?あるいは教員採用試験を受けるのも一つだ。
……というように、いつだって人生の選択をするときは、自分の属性や技能、興味を始点として目標を立てるものだろう。お何を言っているんだ?という疑問が浮かんだ。
恐らく、上記の怒りは「現実と地続きでなくてもいい」という点に向けられたものであるとわかる。あれ、なんか論点ずれてない?何でだ?お前は話を聞いていましたか?
話を戻すと、そういったズレや、そこから生じる的外れなエネルギー(この場合は怒り)、または言い表せないなにがしか足元を掬われて、何も考えられないのである。
思い返すと、これほど見通しの立たなかった時期は無かったかもしれない。
同期達が60コマ+αの経験を積んだ4週間、社会人としての最初の一月、学生時代に飽きるほど聞いた「かけがえのない時間」が突然消失してしまって、休養という自堕落な時間へ置換された今、明日はどうなるのか?明後日は?一週間後は?
泥濘に足を囚われ、五里霧中のうちに、ケーブルを絶たれた宇宙飛行士のごとく投げ出された気分が払しょくできずにいる。
追記:
世間様へ
ゴールデンウイークから社会復帰辛いとか言ってる連中へ
おれの苦しみをお前らも味わってほしいです。
休み明けのブルーマンデー症候群ごときが診断書つきの純正品に勝てると思うな
お前は五年前から
五年経った。
何が?という人もいるだろう(そもそもこれを未だに見る人間がいるかどうかもわからない)。当然だ。何が「五年経った」かといえば、ブログ開設からの時間である。
あれは高校三年生の夏、まだ何の責任も負っていなかった子どものころ。
満ち足りていなかった何かを埋めるためか、あるいは吐き出せなかった何かをぶちまけるためか、理由こそわからないが、ともかくその時から存在している。
開設から数か月、第4志望で入学した大学で、人生の夏休みを謳歌した。友人と遊び、授業の課題に取り組み、アルバイトをして、卒業論文を書き上げて、この春無事に卒業した。まさか卒業式で吹雪が吹くとは思わなかった。
あっと言う間に五年経った。そのうち後半の二年は疫病が流行り、学生生活ラストの一カ月から主権国家同士の戦争が起きている。全く、人生の中のわずかな期間を切り取っても、歴史的な変化が多い時代である。
唐突に規模のデカい話をしてしまったが、私生活でも変化は多かった。家に泊まるほどの仲の良い友人関係に恵まれたし、告白できずにフラれた女性とも腐れ縁が続いているし、尊敬できる年上の人間とも交流できた。高校三年生の、部活とクラスのごく一部としか関わろうとしなかったあのころから考えれば、自分史でも歴史的な変化だ。
自分史の変化といえば、2021年の12月に心療内科に通いだしたのも一つに挙げられる事実である。別に自らネタにしようとも思わないし(ここに書いていることはネタにしていると解釈できなくもないけれど)、特段自分を悲劇のヒロインのように思っているわけでもない。
ただ、「状態を受け入れられない」のである。抗うつ薬を処方され、仕事を休職しているという事実に時折クエスチョンマークが浮かび、「どこで間違えた?」と問い続けている。一方で勤労の義務から一時的に解放され、悠々自適な生活を送っている自分がいることに幸せを感じ、「このままこの生活が続けばいいのに」とも思っている。
怠惰な自分が許せなくて死を望み続けているが、休む権利を目いっぱい行使して休息を望む心が両立している。何もできない無能を否定しながらも、存在の幸福を願うために苦役から離れる方がいいと思い続けている。
死にたいとも思うが、生きていたいとも思う。
折衷案としては、ずれを受け入れるプランと、誰かに殺してもらうプランがある。
社会に適合するのは前者だが、後者は自らの選択を悩む必要が無いから楽だなと思う。だから起床から出社前の二時間のうち、「殺してくれ」と喚いたのだろう。ただ、周りの人たちは簡単には私を見殺しにしないらしい。簡単に殺してくれない。その優しさを求めている節もある。結局は自らを悲劇のヒロインか何かだと思っているのだ。憐れんでほしいのか?
哀れに思われたくなくて、可哀想だと思われたくなくて、舐められたくないから、立ちはだかる壁にぶつかっては乗り越えたのに、そのせいで壊れてしまって。誰かに助けてほしくて、縋っている。思えば高校三年生のあのころから、ずっと変わっていないのではないか。立場も環境も社会的地位も変わったのに、心の奥底は適応できていない。まだ子どもと変わらない。
二重性があって、簡単にいかないことがある。私がどうにかしなければならないことなのに、何もしたくない。選択を他者に委ねたくて仕方がない。何も変わらないじゃないか。何が歴史的変化だ。手前はただのガキ、虫けら、意気地なし、クソ野郎。
お前は五年前から だ。
「お前を殺す」というセリフはアテにならない
お久しぶりというべきか、はたまたはじめましてと挨拶すべきか、少しばかり曖昧なタイミングで更新することにした。
生活環境の変化(つまるところ進学である)については、この記事を書いている段階で慣れていないということはない。つまりは慣れたのだ。
むしろ、この時期にもなって大学内での人間関係が構築できず、中学や高校の同級生にばかり頼っているほうが危ういのではと思う。まあ、これについてはいくらか過激な意見だとは思うけれど。
とはいえ、順風満帆かといえば違う。
職場ではうまくやれているとは到底思えない働きぶりだし、地元の友人関係は破綻の一歩手前だ。それにより自分自身の精神状態も悪化する場合もある。というかあった。事実、先月の上旬はそのせいでかなりキツかった。その上、精神状態の悪化の要因に対して犯罪行為を考えた日も少なくない。
結局、場所が変わろうが環境が変わろうが、僕は過去に引っ張られ続けているのだ。
早くそんな過去を作った奴らをブチ殺して、さっさと楽になりたい。楽になりたいのだが、どうも僕には人間が本来持ち合わせている「倫理観」があるので、実行できずにズルズルと生きている。
あと一歩踏み出せば、楽になれるだろうか?
その一歩を踏み出すまでに、僕は何回アテにならない言葉を吐き続けるのだろうか?
体は暗黒〈ダークマター〉で出来ている
いやぁ、呪いすぎて素直に射精です。
この冒頭の文章は2018年2月21日に書かれて、今日まで放置されていた。
当時の心理状態から考えると全くもって平常な書き出しだったのだろうが、今にしてみると完全に頭がイカれている。
一体どこをどうしたら「呪い」と「射精」が繋がるのだろうか。
今はもうその謎は分からないけれど、当時のことは鮮明に思い出せるし書き出すこともできる。何故ならこの文章も当時の思考も、そして今この瞬間タイピングを行っているのも、全て「僕」という同一の存在なのだから。
当時の僕には、珍しく嫌っている人間がいた。
今となってはなぜ嫌いだしたのかも曖昧だけれど、確か僕を教えていた講師を陰でバカにしていたからだったからとか、そんな感じだったような気がする。
今となっては普通に会話もできるし、むしろ話しやすささえ感じる。
語法は少し違うが「百聞は一見にしかず」とはよく言ったものである。あるいは「食わず嫌い」ならぬ「話さず嫌い」ともいえる。
時期的に考えると、当時の僕は「嫌っている奴が僕よりいい結果を出したら嫌だ。もしそうだとしたら担任の言っていた『人格者が最後に成功する』なんて幻想だったことになってしまう。そんなことにはさせない、絶対に担任の経験則を証明してみせる」なんて具合に考えていて、その思考の一つの到達点がこの記事の書き出しだった……といったところだろうか。
自分が嫌いな人間で、相反する点があったとしても、話してみると面白かったということもある。それとは逆に、趣味が合っていたりしても話してみたら相手の思想に対して埋められないほどの溝を感じることだってあるだろう。
かと思えば、まったく重なることのない人生経験を通して、同じような思考をするようになることもあるわけで。
だから人間は面白くもあるし、面倒でもあるのだろう。
高校生の死と大学生出産ガチャ
初めに
入学式を終えてから2週間ほど経ったので、こうして落ち着いてブログの更新を行えるほどには環境が整ってきた。
元々このブログは心がキツくなった時不定期にしか更新していないわけだが、まあ近況報告というか、何というかそろそろ更新したくなってきたので書いている。決して鬱になっているわけではない。ここでは3つの領域に分けて書いていこう。
①実生活についてのあれこれ
さて、キャンパスライフについてだが、思ったよりも順応している。
進路が固まり始めた時期(2月の後半あたり)に高校に行った際は「ちゃんと大学で友達できるんですか?www」とか滅茶苦茶に後輩から煽られていたが、入学式の昼頃にはすでにTwitterで知り合った同学年の人と昼食や各種ガイダンスで一緒にいたわけで、つまるところ「新生活における環境変化」に対してはSNSという文明を用いてこれを回避、ないしは軽減することに成功した。
いやぁ、現代文明とはすばらしいものである。使いこなせばコミュニケーション能力を自ずと補ってくれるのだから。
②趣味、あるいは嗜好
時間が空く、ということは新生活前にありがちなことである。特に僕のような「実家から通学する」というタイプの人間にとっては、引っ越しなどの新生活準備の期間が存在しない。そのため、自然と暇な時間が形成されていく。
勿論、バイト先での面接や研修、または両親のいない間の家事なんかはそういった「暇」を減らしてくれるのだが、それでも一定の限度がある。
だから、僕は手に持ったディープピンクのSONY XperiaXZ*1を使いこなし(←ここ重要)ありとあらゆるオタクカルチャーに触れることにした。
当然のことではあるが、僕は2018年冬クールのアニメなんか見る暇がなかった。
(正確には「自分の意志で視聴を決めたアニメ」を見る暇がなかった、というのが正しい。何故だかはわからんが、塾から帰ってくると大体父親が録画した銀魂とか見ていたので、僕は遅い夕食をとりながら視聴していた)
そんな中、ふとニコニコ動画のアニメカテゴリのランキングをスクロールしていると、ふと目に留まった作品があった。
この一見すると何ともない、ありふれた日常系美少女アニメは、なんとなく気の抜けていた僕の生活に一つの爆発的な衝撃を与えた。
詳しくはまた別の記事にしようと思うが、まあとにかくここ最近の視聴したものの中ではかなり上位に食い込む代物であった。
最終回が近づくと僕は物語の続きが気になって原作にも手を出した。
かくして、僕は「まんがタイムきらら童貞」を卒業したのである。(?)
他方ソーシャルゲームは「アズールレーン」*2や「デレステ」*3と呼ばれるものを中心にやって、たまに「グランブルーファンタジー」*4
大してソシャゲをすることはなかった。(大嘘)
③思考、または考え方
これに関してはきっと一番変わった部分だろう。
3年次のHRは一言で表すと「思想が強い」もので、担任の人生経験から発せられる言葉はきっとこの時期の青少年には強い影響を与えるのだろう。そうやって影響を受ける生徒は多くいて、僕はそこまでではないだろうと思っているが、きっと第三者から見れば多数のうちの一人に含まれるのかもしれない。
「努力をした結果がたとえ報われなくても、そこに至る過程は尊いものである」
彼は卒業式の日にそんなことを言っていた。
僕は何年も前に同じことを言った人に会ったから、さして意識することではなかったけれど、でもやっぱり完璧になかったかといえばそれは嘘で、つまり僕の過去の記憶が現在の発言と合致したということだ。
あとはなんだろう。変にポジティブになったことだろうか。
ある後輩の言葉を借りて表すとすれば「先輩は常人の感覚を得た」といったところだろうか。*5
終わりに
高校生としての僕は死に、そして新年度の始まりと同時に大学生の僕は生まれた。
かくして、僕は新たな段階に足を踏み入れたのであった。
これからも不定期に更新していくだろう。
終点と始発駅
さて、読者の皆様にお聞きしたいのだが、僕は今何をしながらフリック入力をしているのだろうか。
正解は「第四志望校の過去問研究をしながら」である。
これがわかった人はきっと僕に対して集団ストーカー犯罪を行っていると思われる。
助けてー!集団ストーカーに襲われてまーす!!
今のはナシだ。
なぜこんな時に更新をしようと思ったかというと、それは寂しいからだろう。案外動機というものは単純なものだ。
学校で自習している友人もいるのだから、どうせなら登校してもいいのだろうが、いかんせん電車に乗る時間が無駄だと感じるから、朝から自転車で塾に行って自習しているのだ。
自転車乗るのもめんどくさいからセグウェイで通わせてほしい。
自らそういった環境に身を置きながら、その一方で寂しさを感じるなどとほざいているのは単に自己の怠慢と捉えることができる。学校に行くという努力をしていないためである。そこまで言わなくてもいいと思うけど。
もう少し(今日の時点であと17日)で受験戦争から身を引くことになるという事実を噛み締めている。
だからなんだということではあるが、まあ感慨深いというか、なんというか、不思議な気分だ。
とはいっても、ここですべて終わるわけではなくて、またリセットボタンが押されて、またゼロ地点に戻るだけなのだが。
まるで新シリーズが放映されるときのピカチュウだ。
あえて相違点を述べるとするならば、僕はある一定のラインで次の冒険の地方を選べるということだろうか。きっと次はさばんなちほーだな。
一通り終わったらという条件付きのTodoリスト(だったっけ)を作っているのだが、多分履行されないまま終わりそうだ。
なぜなら僕の作った計画の大抵は崩れるからだ。
その倒壊寸前の、いうなれば震度7の地震を耐えきったあとの阪神・淡路大震災以前の建築基準法に基づいた建築物のような計画の中に、「でえと」などというチェルノブイリ原発のような危なっかしい単語がデータとして存在している。
誰と行く気だお前は。誰なんだ!?答えろ!!
行くあてがないなら石棺しろ!!!!!!!!!!
泉鏡花って美少女だと思ってたんだけど
例のごとく本文とタイトルに関係はない。
でも本気で思ってたんだ。「こいつ絶対美少女だろ」って。その幻想は無情にも文学史の学習の中で殺された。
これがホントの幻想殺しってか。つまらん。
これも例のごとくだが、序論と本題も関係がない。
きっと僕が書いた文書がセンター試験で出題されたらその年の平均点が爆下がり間違いなしだ。ざまあみやがれ受験生共め。
さて本題といこう。といっても大したことじゃない。
色ボケしながら受験戦争に突入しようってだけだ。何の事はない。
いやあるだろ。
いつだかに知り合った年下の後輩から連絡がきて、それに大げさに反応してるだけだ。でも絶対その人気がありそうだ。あるだろうか、いやないかも。
「絶対に終わったらこっちから誘おう」とか担任への提出物に書いたら、「それもモチベとしてはアリだぞ」とかクソみたい話題に対して至極真っ当に返答されてしまったので、ネタにするなら本気でやったほうが良さそうだ。
ちなみに、その人に片思いしてる中三もまだ関係が持続してるので、そのなんというか面倒くさくなりそうでこれもまた面白いものだ。
真正のクズだなこいつ。
まあそれでも、楽しめるのならアリよりのアリだろう。
あと2日で給費制試験だぞ、現実から目を背けんな!
と、言い聞かせたところで筆(キーボード)を置こうと思う。