古傷

辛いことがあったときに何でもかんでも他人のせいにする人間ではない。

そう思っていた。だが違った。

やっぱり他人のせいにする人間なのだ。

僕はそういう人間だ。

 

ここまで何回「人間」って言葉が出たか数えてみよう。

 

ここまでは本題じゃない。あくまでも入り。だから、ここから本題を始めよう。

 

僕にとって小学校は地上の地獄だった。

楽しいと思えた五年間よりも、苦痛だった一年間のほうが遥かに記憶に残ってる。

2011年はこの国にとって苦難の年だったかもしれないが、僕にとってはまさしく苦痛の年だった。

朝来たら机がひっくり返っていて、逆エビ固めをかけられた金曜日。

校舎裏に連れて行かれて、泣いて帰ってきた月曜日。

水曜日はリコーダーに混じって僕の泣き声が音楽室から聴こえただろうし、夏休み明けのバスケットコートで脱ぐように強制された哀れな児童が他のクラスメイトにどんな風に見えたか気になる。

彼は台風が来た日に鉛筆を折った一方で、僕を殴る前にはメガネを外されて壊れないようにしていた。

律儀な野郎だ。思い出したらなおさら虫酸が走る。

その時の記憶は残念なことにない。

当時の記録は残っているけど、逆に言えばそれ以外はないってことだ。

学校が怖くて休んだ日は七日しかなかった。意外と少ないね。

 

ここまで読んだ皆様からしたら、この哀れな児童が成長し、己の不幸自慢をインターネットに書き連ねているというどうしょうもなく虚無的で蔑視されざるを得ない行動をしているようにみえるのだろうが、悲しいことにまったくその通りなのだ。

皆様の推察は正しい。五歳児にでもできるぐらい簡単に。

 

つまるところ、根本的な解決は無かったんだ。

弱ったときこうして出てくる膿を吐き出すことでしか解決しないのだ。

死ぬまで永遠に、とはいかないだろうが向こう5年ぐらいはずっとこれに苦しみ続けるハメになるだろう。

なにしろこの記憶がトラウマだって気づいてしまったんだから。

 

11歳の僕を殺した彼はその後中学受験を突破し、県内の有名校に進学したものの問題を起こし、内部進学せずにどっか別のところに行って、そこも退学したんだかしてないんだか知らないけど、つまりそこで追跡は出来なかった。

一方、11歳で殺された僕はというと、中学時代は生徒会役員としてスクールカーストの外側に隔離され、高校では奇人変人狂人に囲まれて「楽しく」生活してる。目指す目標もあるし、そこにたどり着く可能性もある。

社会的立場においては、すでに僕は彼に勝利していると言っても過言ではない。

 

これで、ある種の復讐を遂げたのか。

あるいは、僕が完全に彼を殺し尽くす事こそが、復讐の達成になるのだろうか。

彼の愛する者を皆殺しにし、社会的地位を奪い去り、彼のいた痕跡を消し、彼の関係する物を全て壊し尽くせば、それで達成されたと言えるのか。

もしくは、僕がこのことを全て現在から追いやってしまうことが、完全な解決となりうるのだろうか。

ひょっとしたら、僕自身が消えることでも、解決と判定されるのだろうか。

 

答えはわからないし、きっとこの先もそうなんだろう。