気候による情緒の不安定化と裏話

秋が近づいてきた。鬱だ、死ね。

書き出しは平常運転だと思うが、心中は穏やかではない。

そもそもブログの更新をしている時点で僕の心理状態は瀕死の重症だ。

 

先に言っておくと、今回は読んでもらうような内容ではない。「いつもそうだろ」とか言わないでくれ。

読んでて楽しいと思えるのは、中学の同級生と一部と、高校の同級生と後輩の何人かだと確信している。

 

端的に言ってしまえば、心の拠り所から離れたからこうしてブログを書くようなことになっている。

いつの間に自分は部活動に入り浸っていたのだろうか。こういうことになっているのはつまり、その居場所が気に入ってたってことなんだろう。

一回、いや二回は辞めようと思って、最後の一回は至極真っ当な理由までつけて退部届を書こうかと思ったが、こうして10月まで残っているのは、つまりそういうことだ。

 

はっきり言えば嫌なこともある。

真面目すぎてつまらないし、しがらみは多いし、理不尽極まりないし、真面目すぎてイライラさせられたし、親切がむしろ辛くて救いの手が死ぬほどうざったいと思ったし、顧問がド変態なのはむしろ面白かったから良かったけど。

あぁでも最後の最後になってようやく同級生に頼ったのは大きな進歩だな。それまでは大したことを思ってなかった気がする。むしろ信頼とかいう言葉は無かった。

 

これを書いているとき、ふと「生徒会のときも同じこと考えてたな」と思い出した。

たくさんの友人よりも少ない友人で密接に関わってたほうが楽しいと思える人種なので、そういう小さな集団の終わりというのは、より悲しく感じるのだろう。

 

今朝、担任がHRで詩を引用して話をしていた。

曰く、「人を頼ることができて大人になる」とかなんとか言っていた。

たしかにその通りだ、何より経験則として身にしみている。

 

だが、一時的にせよ、自らの頼りとする人たちから離れるのが辛いとわかっているから、一人になろうとすることもあるのではないだろうか。

かといって、孤独に耐えるために集団を形成して、それが解散するごとに切なくなるのだから、やはり私たちは面倒な生物だ。

 

今回に限ってオチはない。最後まで期待はしないだろうが、一高校生の戯言だと思って生暖かく見てほしい。