お前は五年前から

五年経った。

 

何が?という人もいるだろう(そもそもこれを未だに見る人間がいるかどうかもわからない)。当然だ。何が「五年経った」かといえば、ブログ開設からの時間である。

 

あれは高校三年生の夏、まだ何の責任も負っていなかった子どものころ。

満ち足りていなかった何かを埋めるためか、あるいは吐き出せなかった何かをぶちまけるためか、理由こそわからないが、ともかくその時から存在している。

開設から数か月、第4志望で入学した大学で、人生の夏休みを謳歌した。友人と遊び、授業の課題に取り組み、アルバイトをして、卒業論文を書き上げて、この春無事に卒業した。まさか卒業式で吹雪が吹くとは思わなかった

 

あっと言う間に五年経った。そのうち後半の二年は疫病が流行り、学生生活ラストの一カ月から主権国家同士の戦争が起きている。全く、人生の中のわずかな期間を切り取っても、歴史的な変化が多い時代である。

唐突に規模のデカい話をしてしまったが、私生活でも変化は多かった。家に泊まるほどの仲の良い友人関係に恵まれたし、告白できずにフラれた女性とも腐れ縁が続いているし、尊敬できる年上の人間とも交流できた。高校三年生の、部活とクラスのごく一部としか関わろうとしなかったあのころから考えれば、自分史でも歴史的な変化だ。

 

自分史の変化といえば、2021年の12月に心療内科に通いだしたのも一つに挙げられる事実である。別に自らネタにしようとも思わないし(ここに書いていることはネタにしていると解釈できなくもないけれど)、特段自分を悲劇のヒロインのように思っているわけでもない。

ただ、「状態を受け入れられない」のである。抗うつ薬を処方され、仕事を休職しているという事実に時折クエスチョンマークが浮かび、「どこで間違えた?」と問い続けている。一方で勤労の義務から一時的に解放され、悠々自適な生活を送っている自分がいることに幸せを感じ、「このままこの生活が続けばいいのに」とも思っている。

怠惰な自分が許せなくて死を望み続けているが、休む権利を目いっぱい行使して休息を望む心が両立している。何もできない無能を否定しながらも、存在の幸福を願うために苦役から離れる方がいいと思い続けている。

死にたいとも思うが、生きていたいとも思う。

 

折衷案としては、ずれを受け入れるプランと、誰かに殺してもらうプランがある。

社会に適合するのは前者だが、後者は自らの選択を悩む必要が無いから楽だなと思う。だから起床から出社前の二時間のうち、「殺してくれ」と喚いたのだろう。ただ、周りの人たちは簡単には私を見殺しにしないらしい。簡単に殺してくれない。その優しさを求めている節もある。結局は自らを悲劇のヒロインか何かだと思っているのだ。憐れんでほしいのか?

哀れに思われたくなくて、可哀想だと思われたくなくて、舐められたくないから、立ちはだかる壁にぶつかっては乗り越えたのに、そのせいで壊れてしまって。誰かに助けてほしくて、縋っている。思えば高校三年生のあのころから、ずっと変わっていないのではないか。立場も環境も社会的地位も変わったのに、心の奥底は適応できていない。まだ子どもと変わらない。

 

二重性があって、簡単にいかないことがある。私がどうにかしなければならないことなのに、何もしたくない。選択を他者に委ねたくて仕方がない。何も変わらないじゃないか。何が歴史的変化だ。手前はただのガキ、虫けら、意気地なし、クソ野郎。

 

お前は五年前から  だ。