夢は叶うさ
めいろつくったからといて。
そんなことはあとだ。
今回は夢についてのお話。
先日、僕に大きく悪影響を及ぼした小学校の同級生が夢に出てきた。
彼はもうすぐ麻薬中毒で死に至るらしく、ちょうど近所の公園でその状態の彼に会ったことから始まった。
彼の身の上話を聞いた後、僕は彼に手を差し伸べてこう言った。
「そうか、なら余命も少ないことだし、ここいらで仲直りでもするか」と。
すると彼は、
「いや、テメーと仲直りなんて死んでもゴメンだ」。
僕は一言こう言った。
「ああそうかい、俺だってお前と仲直りなんざしたくもないね。ざまあみやがれ、バーカ!」
その後彼が死んだらしいってところで僕は目を覚ました。
夢の中でも、起きた直後でも、僕は彼が死んだかあるいは死ぬことを喜んでいた。
でも。
僕が死んだとき、喜ぶ人はいるのだろうか。
あるいは、悲しむ人はいるのだろうか。
少し気になってしまった、そんな後味の悪い夢だった。
2日連続
このブログを続けて更新するなんて異常事態も良いところだ。
つまるところ不安の解消のための代償行為だ。
勢いで書き出してしまったが、何ということだろうか、話題がない。
何も面白いことが書き出せない。
どうしょうもなく虚無が存在してて、浮いてるんだか落ちてるんだから分からない。
いっそ逆レイプされるとか、通り魔に刺されるとか、轢き逃げに遭うとかそういった「非日常」があれば文章にしようと思うのだが、生憎そんなものがゴロゴロと転がっている中で生活していたら僕の身はおそらく3日と保たない事だろうということはハナから承知している。
せめて選択肢はこちらで持っていたいということにせよ、僕を誰かが終わらせてくれるなら是非そうしてほしい。
こちらとしては願ったり叶ったりだ。
僕を気持ちよくさせてくれるなら、なおさら良い。
おちんぎんほしいぃぃ……
それはついこの間のこと。
塾の帰り道、自転車で一緒に走っていた友人に「おちんぎんほしいぃぃ……」って言ったら全力ダッシュで逃げられた。
ぼくは錆びついた自転車のギアを5速に上げて、立ち漕ぎして追いかけ、出来ることならケツを掘ってやろうと思った(『ケツを掘る』とは追突事故の通称。あるいはスラングともいう)。
しかし、世界史と英語のノートと、赤本と呼ばれるセンターの過去問の重さに阻まれて追いつけなかった。
みんなも心の中で「おちんぎんほしいぃぃ……」と、一分だけでもいいからつぶやいてみてほしい。新しい世界が見えてくるはずだ。当たり前だが見えてくるはずはない。
センター演習と小テスト対策と授業をやって、残りは食事とツイッターと風呂で消える生活は、ある意味シンプルでわかりやすく単純な、頭を使わない生活だ。
何も考えることはない。何故ならやることが決まっているから。
部活を引退するときにわざわざ志望校をバラしてここに受かるように頑張りますなんて言ったからには、それ相応、いやそれ以上は有言実行とするための努力をすべきだろう。
一個上の代で同じことをやった人がいたのであくまでもそれを真似ただけだ。
話は変わるが、ずーっとずーっと好意(性欲ではない)を抱いてる人と会っていないのでそろそろその人に☓☓☓☓とか☓☓☓☓☓☓☓☓☓☓とかしないと死にそうだ。
話を戻そうとしたが、何を話していたかさえ覚えていないので今回はこのあたりでお開きとしよう。
寝れない①
新連載。「寝れない時」第一回目です。
ろくなこと書きません。いつもですね。
模試から帰ってきて、昼寝をした時ぼくは2つ夢を見た。
一つ目は、二つ年下の男子の後輩と列車の解体現場を見に行く夢。最後はどっちかが解体の際に使われたロープに絡まぅて死んだ。
二つ目は、二つ下の女子の後輩にポートレートを頼んだ帰りに右のハンドルしかついていない自転車をホームレスに譲る夢だった。
因みに、確かその子にはスク水を着てもらったと記憶している。
性癖暴露かな?
今の状況は、さながらマラソンの中間地点のようなものだと思ってる。フルマラソンなんかしたこと無いけど。
始まりも終わりも見えてない。
こんなことを考えつくぐらいだから、きっと疲れているんだろう。
もう寝よう。明日が待っているのだから。
気候による情緒の不安定化と裏話
秋が近づいてきた。鬱だ、死ね。
書き出しは平常運転だと思うが、心中は穏やかではない。
そもそもブログの更新をしている時点で僕の心理状態は瀕死の重症だ。
先に言っておくと、今回は読んでもらうような内容ではない。「いつもそうだろ」とか言わないでくれ。
読んでて楽しいと思えるのは、中学の同級生と一部と、高校の同級生と後輩の何人かだと確信している。
端的に言ってしまえば、心の拠り所から離れたからこうしてブログを書くようなことになっている。
いつの間に自分は部活動に入り浸っていたのだろうか。こういうことになっているのはつまり、その居場所が気に入ってたってことなんだろう。
一回、いや二回は辞めようと思って、最後の一回は至極真っ当な理由までつけて退部届を書こうかと思ったが、こうして10月まで残っているのは、つまりそういうことだ。
はっきり言えば嫌なこともある。
真面目すぎてつまらないし、しがらみは多いし、理不尽極まりないし、真面目すぎてイライラさせられたし、親切がむしろ辛くて救いの手が死ぬほどうざったいと思ったし、顧問がド変態なのはむしろ面白かったから良かったけど。
あぁでも最後の最後になってようやく同級生に頼ったのは大きな進歩だな。それまでは大したことを思ってなかった気がする。むしろ信頼とかいう言葉は無かった。
これを書いているとき、ふと「生徒会のときも同じこと考えてたな」と思い出した。
たくさんの友人よりも少ない友人で密接に関わってたほうが楽しいと思える人種なので、そういう小さな集団の終わりというのは、より悲しく感じるのだろう。
今朝、担任がHRで詩を引用して話をしていた。
曰く、「人を頼ることができて大人になる」とかなんとか言っていた。
たしかにその通りだ、何より経験則として身にしみている。
だが、一時的にせよ、自らの頼りとする人たちから離れるのが辛いとわかっているから、一人になろうとすることもあるのではないだろうか。
かといって、孤独に耐えるために集団を形成して、それが解散するごとに切なくなるのだから、やはり私たちは面倒な生物だ。
今回に限ってオチはない。最後まで期待はしないだろうが、一高校生の戯言だと思って生暖かく見てほしい。
古傷
辛いことがあったときに何でもかんでも他人のせいにする人間ではない。
そう思っていた。だが違った。
やっぱり他人のせいにする人間なのだ。
僕はそういう人間だ。
ここまで何回「人間」って言葉が出たか数えてみよう。
ここまでは本題じゃない。あくまでも入り。だから、ここから本題を始めよう。
僕にとって小学校は地上の地獄だった。
楽しいと思えた五年間よりも、苦痛だった一年間のほうが遥かに記憶に残ってる。
2011年はこの国にとって苦難の年だったかもしれないが、僕にとってはまさしく苦痛の年だった。
朝来たら机がひっくり返っていて、逆エビ固めをかけられた金曜日。
校舎裏に連れて行かれて、泣いて帰ってきた月曜日。
水曜日はリコーダーに混じって僕の泣き声が音楽室から聴こえただろうし、夏休み明けのバスケットコートで脱ぐように強制された哀れな児童が他のクラスメイトにどんな風に見えたか気になる。
彼は台風が来た日に鉛筆を折った一方で、僕を殴る前にはメガネを外されて壊れないようにしていた。
律儀な野郎だ。思い出したらなおさら虫酸が走る。
その時の記憶は残念なことにない。
当時の記録は残っているけど、逆に言えばそれ以外はないってことだ。
学校が怖くて休んだ日は七日しかなかった。意外と少ないね。
ここまで読んだ皆様からしたら、この哀れな児童が成長し、己の不幸自慢をインターネットに書き連ねているというどうしょうもなく虚無的で蔑視されざるを得ない行動をしているようにみえるのだろうが、悲しいことにまったくその通りなのだ。
皆様の推察は正しい。五歳児にでもできるぐらい簡単に。
つまるところ、根本的な解決は無かったんだ。
弱ったときこうして出てくる膿を吐き出すことでしか解決しないのだ。
死ぬまで永遠に、とはいかないだろうが向こう5年ぐらいはずっとこれに苦しみ続けるハメになるだろう。
なにしろこの記憶がトラウマだって気づいてしまったんだから。
11歳の僕を殺した彼はその後中学受験を突破し、県内の有名校に進学したものの問題を起こし、内部進学せずにどっか別のところに行って、そこも退学したんだかしてないんだか知らないけど、つまりそこで追跡は出来なかった。
一方、11歳で殺された僕はというと、中学時代は生徒会役員としてスクールカーストの外側に隔離され、高校では奇人変人狂人に囲まれて「楽しく」生活してる。目指す目標もあるし、そこにたどり着く可能性もある。
社会的立場においては、すでに僕は彼に勝利していると言っても過言ではない。
これで、ある種の復讐を遂げたのか。
あるいは、僕が完全に彼を殺し尽くす事こそが、復讐の達成になるのだろうか。
彼の愛する者を皆殺しにし、社会的地位を奪い去り、彼のいた痕跡を消し、彼の関係する物を全て壊し尽くせば、それで達成されたと言えるのか。
もしくは、僕がこのことを全て現在から追いやってしまうことが、完全な解決となりうるのだろうか。
ひょっとしたら、僕自身が消えることでも、解決と判定されるのだろうか。
答えはわからないし、きっとこの先もそうなんだろう。